2009年03月11日
戸来 氏がんばってますよ米価
おお、こんな事だったんですね。
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日本において「米価」という概念が登場したのは、和同開珎以下の皇朝十二銭の出現以後である。ただし、平安時代以前の段階においてはいまだに物々交換が主流であったから影響力は少なく、また不作や貨幣の質の低下に伴う米価の高騰と公定価格制定や官米放出による低下の繰り返しであった。
鎌倉時代以後の宋銭流通によって、「一石=一貫文」の米価が慣例として定着するようになるが、実際には統一的な貨幣制度も度量衡器も存在せず、地域的条件の違いも重なって正確な米価比較は困難である。ただし、意外なことに社会情勢が不安定であった室町時代から戦国時代にかけては全国的に米価は低廉で一石=500?600文で推移していたことが様々な古文書から判明している。
江戸時代
近世初期は統一的な貨幣制度が未成立であったことから、石高制が採用された。その結果、年貢は米によって徴収され、また支配階層である武士の俸禄は地方知行・蔵米知行など米を基準とした体系を取った。このため、米価は江戸幕府や諸藩の財政に直結したばかりでなく、支配階層である武士の生活基盤そのものを左右した。また、直接生産者である農民の収入は勿論のこと、職人や商人のも米を主食としている以上は米価の影響を受けると考えられ、米以外の物資の価格(「諸色」)の価格はその時々の米価に連動すると考えられていた。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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